あれこれ(2004年分)


■ 今年の水槽 2004/12/30
 この時期になりますと、テレビなんかでもこの一年を振り返る特集なんて始まりまして、やっぱり一年って言うのは振り返っておいたほうが良いのかな?なんて、思うんですが、WaterBoxにとってのお正月というのは、サイトの誕生日の1月24日なんじゃないかと個人的には思っていますので、サイトについて振り返るのは、またもうちょっとしたら書くことにしまして、私の水槽の一年について少し書いてみようかと思います。
 今年は最大の失敗がありました。夏の猛暑で水槽の調子が一気に悪くなり、ローチを全滅させてしまったのが、一番悔やまれるところです。北海道にしては記録的な気温でしたので、これまでの温度対策では全く歯が立たなかったのが辛いところでした。根本的に対策をする前にどうにもならないところまで行ってしまったのがとても残念です。やっぱり、備えはしておくべきでしたので、それを怠ったところが大きな反省点ですね。そのまま何もしないのでは進歩が無いですので、とりあえず、巨大なファンを購入してみました。来年の気温がどうなるのかはわかりませんが、穏やかな気候であって欲しいなと思います。ただ、このことで、私は自分のローチ好きがかなりのものであることを実感しました。しばらくローチのいない時期が続きましたが、やっぱりクラウンローチを飼わずにはいられなかったんですね。ちょっと呆れますよね。でも、今度こそ、何年も付き合っていきたいです。
 嬉しいこともありましたね。水草が不得意な私でしたが、今年のはじめに始めた水草水槽が今まで快調にきていまして、水草を何度もトリミングできるようになりました。またそちらの水槽の調子が良いのが嬉しいところです。ただ、水草水槽であって、水草レイアウト水槽ではないのが痛いところですね。雑然と水草が伸び放題になっておりまして、来年はもう少し見栄えのする水槽を作ってみるのもいいかなぁなんて思っております。が、植物育てるのは基本的に下手なので、どうなることやらです。
 いろいろと迷った年でもありますね。濾過器などもいくつか作り変えてみましたし、90センチ水槽の導入を決めたのですが、それにもかなり迷っておりました。また、空いている30センチ水槽で久しぶりに魚の繁殖をしたいなと思っているのですが、何を入れようか、値段と入手のしやすさなどから、まだまだ悩んでおります。でも、仕事なんかと違っていつまで悩んでも差し支えることの無い悩みばかりなので、悩みつつ、いろいろと考えていること自体を楽しんでいるような気もします。
 他にも思い出してみると、たくさんの事件がありましたので、ここには書ききれないですね。そのたびに掲示板でお話しできたことも楽しかったです。
 皆さんもこの時期なので、今年一年の水槽の様子を少し思い出してみてはいかがですか?

 ということで、2004年のあれこれはこれでおしまいです。ちょっと早いですが、皆さんも良いお年をお迎えください。来年もよろしくお願いしますね!


■ A型アクアリスト 2004/12/5
 ついに師走ですね。今年もあと1ヶ月。早いものです。あれこれもネタが無いかと思いきや、今年も結構書きましたね。我ながら、おかしなことを毎年思いつくものですが、ちょっとした息抜きとして楽しんでいただければ幸いです。
 さて、今回は血液型のお話です。雑誌の血液型占い(のコーナーなんて今はあるんでしょうか?)とかを特別信じているわけでもない私なのですが、良く、人から「A型でしょ」っていわれます。私自身、血液型と性格に因果関係があるとはあまり思っていなかったりするので、気にしてないのですが、どうやら”A型=結構几帳面&理屈で物事を考える”ようなのです。といっても、周りの人がそういうだけで、本人としてはあまり自覚は無かったりします。デスクトップにはなんだったのか覚えていないアイコンやら、ファイルやらがいっぱいありますし、たまに理屈の合っていないことを口走ったり、何より水槽の周りはもう少し綺麗にできないものかな…なんて思っているのに掃除はやらなかったりして、自分のしていることが、とってもずぼらだなと思っていたりするのです。でも、いわれてみれば、何かといろいろなことが気になる性格であるのは確かなので、そんな自己認識と他人の評価を総合して、”画竜点睛を欠いた完璧主義者”というか、”多少の汚れは気にしない潔癖症”というか、”理屈のはずなのにいつのまにか屁理屈をこねている自称理論家”というか…。そんな性格なのだろうなと思っていたりします。
 こういう人、水槽やると駄目なところがあるんですね。何が駄目かって、とにかくまずいろいろと知識を仕入れるんですね。それ自体は良いのですが、頭でっかちになりがちですので、こうなればこうなるはずだと思っているのにそうならないと、かなり悩みます(^^;。しかも悪いことに忍耐が無いんです。
 例えば、水槽を始めた初期の頃、コリドラスにはまりました。当然のように繁殖を狙いましたが、餌や水質をそろえたのにコリドラスが繁殖しないので悩みつづけていました。人間で言えば、食事と空気の綺麗な寝室を用意したのになぜ子供ができないんだ?!って言って騒いでいるようなものですね。それだけで子供ができたら、日本の出生率なんて下がらないと思います。って話がそれましたが、魚も人間と同じように、繁殖するには、ペアの相性だったり、時期だったり、タイミングや偶然の要素があるはずなのに、そのことに気がつかなかったです。今なら笑い話なのですが、当時は結構真剣に悩んでおりました。ここで、もしも私がA型アクアリストじゃなかったら、きっと「そのうち産むでしょ」って思えたのだと思いますが、私は思えなかったですね。それで、低気圧の前に水換えしてみたり、ピート入れてみたり、いろいろとやりました。でも、繁殖に至らず、あまりにもいろいろとやりすぎたせいか、コリドラスは長生きしてくれませんでした。その後、生き残った数匹のコリドラスが脇役になり、特別なことをせずに普通に飼っていたら、連続的に繁殖してくれたことがありまして、私の努力はなんだったのかなと、また悩んだりしておりました。そんなことがあったにもかかわらず、また次の魚で同じことを繰り返しまして(^^;。頑固なのも、A型アクアリストの悪いところのような気がします。
 水槽って、思い通りにはなりませんね。思いのほか悪くなることもあれば、思いもよらず良くなることもありますので、それはそれとして受け止めて、相手が人間の意志なんて気にしない生き物であることはしっかり頭に入れておいたほうが良いようです。特に、私のようなA型アクアリストは、こうなるはずだっていうことにこだわりすぎる傾向がありますので注意です。
 でも、悪いことばっかりじゃないんですよ。魚の数とか確認しないと気になったりしますので、しっかり見ますし、調べ物もしないよりは断然ましですよね。ただ、それにこだわる程度をきちんと考えないといけません。
 ちなみに、サイトの運営なんかでも性格が出ていると良く言われます。私は、コンピュータ関係のサイトもやったことあるんですが、なかなか続かず、やっぱりずぼらだなと思っていたのに、ローチのサイトのほうは、まだ更新が続いていたり、私のレスをうざったく感じる方もいらっしゃるかなと思いつつもついついレスしてしまったりするのは、興味があることにはのめりこむA型アクアリストのさがなのかもしれませんね(笑) 
 皆さんは、ご自分の血液型と水槽管理、思い返してみてハッとするところありませんか?是非是非聞かせて欲しいものです。
 そのうち、血液型別飼育術なんて、コンテンツでも書いたら面白いかもしれませんね(^^)

 

■ うちのメイン水槽 2004/11/27
 結構前に、出張で、あるビルに行ったのですが、それがまた大きなビルで、ロビーの床は綺麗に磨き上げられており、受付には帽子をかぶった受付のお姉さんが笑顔で座っておりまして、私の非常に恥ずかしい質問にもしっかりと答えてくださるという、なんとも良いビルでした。今回はそのお姉さんのお話、ではなく、そのカウンタの隣にあったインテリア水槽のことです。海水魚だったので種類なんかは良くわかりませんが、とても綺麗な水槽で、きっと専門の業者さんとか、ショップの方が出張で管理してらっしゃるのだろうなと思いながらみてきたんです。
 そしてうちの水槽。比べてはいけないですが、あまり綺麗じゃありません(^^;。でも、自分としては納得しているので良いのですが、人に見せるということを考えるとあまりにも見栄えがしないです。まあ、見せるための水槽ではないので、それも私としては全く構わないので良いのですが、たまに誰かが遊びに来て水槽を覗くと、大抵「何が居るの?」っていわれます。過密気味の私のメイン水槽のはずなのに、パッと、見えるのはレインボーフィッシュが2匹…。確かにそのくらいしか見えないんですよね。でも、ちょっとすると入れ替わりにいろいろと顔を出すので、居ることだけはわかってもらえるのですが、今度は「こんなにいて、食ったりしないの?」といわれることも…(^^;。さらに妹なんかはもっと辛らつです。「見えない魚に餌やって何が楽しいの?」っていわれます。悔しいので、餌をやるんですね。そうすると、穴という穴から出てくる出てくる…。という感じで、ドジョウ軍団が一気に前に出てくるので、ちょっと退かれてしまいます。結局プラティがいっぱい居る水草水槽の方が受けは良いのが、常なのです。ということで、うちのメイン水槽、非常に評判が悪いです(T_T)。
 でも、ちょっと思ったんです。インテリア水槽って、結構余裕を持って飼育されていること多いと思いませんか?水槽の美観としてあまりにもギュウギュウに入っていると見栄えが悪いんですよね。ADAのカタログなんかを見ていても、魚に関してはかなり寂しいくらいにしか入っていないです。あそこはレイアウトが商品の会社ですから、ちょっと極端な話かもしれませんが、”見た目重視型の水槽=インテリア水槽”というのは、魚が少な目の傾向にあるような気がしました。それに比べると私の水槽、確かに普段は魚が居ないように見えますが、餌をやって驚かれるように、かなりびっくりする感じで魚が入っているんですね。また、これまでにいろいろと見てきましたが、”見た目にこだわらない水槽≒飼育中心の水槽”というのは、過密になるような傾向がある気がします。
 私はインテリア水槽なんて多分作れないですけれども、圧迫感を感じない水槽というのは、見た目に良いだけではなくて、飼育数としても適当なところで抑えられるのかなと思いました。水槽に魚を入れることにブレーキをかけられない私のような方にとっては、パッと見は大事なのだなと再認識しました。また、ローチ類は隠れていることが多いですから、普段はとても余裕があるように見えてしまうんですね。ですから、餌をやったときとか、みんながいっせいに見えるているときに、見た目もちょっと気にしてみると良いかなと思ったビルのロビーだったんです。

あ、そうそう、私が受け付けのお姉さんにどんな恥ずかしいことを訊いたのかと言いますと…。
猫:「○○(会社の名前)は何階ですか?」
お姉さん:「それは、左隣のビルの○○(会社の名前)様ではないでしょうか?」
猫:「あ…あはは、どうも」(←乾いた笑い)
お姉さん:「ご苦労様です」(←とっても笑顔)
ということでした。隣同士で、似たような形のビルを建てるのはやめて欲しいものです(^^;


■ ちょっとしたきっかけ 2004/10/23
 私は映画を見るのも好きなのですが、かなり前にジュラシックパークという映画がありまして、出たばかりの時にはあまりのリアルなCGに驚いたものです。本当に恐竜が居るかのように見えるのは当時としては驚異的でしたね。でも、今回話題にしたいのは恐竜のお話でも、CGのお話でもなく、その中に出てきた数学者のマルコム博士のことです。彼はカオス理論なんていう、普通の人にはよくわからない学問を専攻しているらしく、劇中ではその説明をしているシーンがありました。人の手に水滴をたらしながら、はじめのちょっとした違いが大きな結果の違いを産むということ(カオス理論なんてよく知らない猫丸の理解ですよ(^^;)を説明しておりましたね。
 水槽でもそんなことありますね。もちろん、水槽にカオス理論を持ち込んで小難しくするつもりは無いですが、ちょっとしたことに気をつけるとうまくいくことがあります。例えば、水換え。夏はまだ良いのですが、冬などは水道も温度が低いので、お湯を使うとか、本当にゆっくり入れるとか、そのあたりの気遣いがあると、魚への負担も変わってきますね。ふとしたときに水温計を見るとか、魚の様子を見るとか、そういう細かい観察で、未然にトラブルに気がつくこともあります。はじめのちょっとしたことで、結果が違ってくるんです。
 先日、私の水槽で、知らないうちにヒーターが切れておりました。水温がいつのまにか19度まで下がっており、そのまま私が寝てしまえば朝方には多分10度前後にはなっていたのではないかと思います。寝る前に水温計を見て気がついたのでよかったですが、背筋に寒いものが走りました。
 自然は、多分かなり許容量があるので、ちょっとしたところで何かまずいことをやってしまっても、いつのまにか吸収して、何事も無かったかのように処理してくれるのですよね。本当に偉大だなと思います(もちろん、まずいことをやっていいということでは無いですよ)。それに比べると水槽は、なかなかそうはいかないですね。ちょっと水質が変わると魚がへろへろと元気がなくなってきますし、濾過器が止まるとか、エアチューブが外れるとか、今回のように、ヒーターが切れるとか、何か一つが狂っただけで平和を維持できなくなります。よほど気をつけて飼育している方でない限り、バックアップが無い事が多いので、水槽維持というのは、ある意味綱渡りなのだなと思います。
 水槽は、一つが動かなくなっただけで崩れてしまう脆さがありますから、ちょっとしたことに気をつけるのは、そういう意味でも大切なことなのだなと、今回改めて思いました。皆さんもちょっとしたことに気を使ってみると、トラブルも防げるのかなと思いますので、疲れない程度にやってみてはいかがでしょうか。

 それにしても、知らないことを引き合いに出すのは、冷や汗掻きますね(^^;。私は、一応、数学とか、情報とかそういうものが専門の典型的な理系なのですが、カオスなんて、昔学校で聞いたことがあるような無いような…。って感じの理解でしかないんですね。バタフライ効果(北京で蝶が羽ばたくとニューヨークで嵐が起こる)なんて言葉をかろうじて知っていたくらいです。ということで、もしもおかしなところがありましたら、ご指摘いただければと思います。ちなみに、これを書きながら、クラウンローチ効果というのもあるのかなと勝手に思ったりしていました。「クラウンローチを飼うと、猫丸が喜ぶ…(^^;」これって別にカオスでもなんでもなく、ただの因果関係ですよね。失礼いたしました(笑)

■ 初心、忘れましたか? 2004/10/8
 忘れました(笑)。というのは私のことなんですけど、だいたい物事に慣れてくるとはじめの事は忘れてしまうのが常なもので、ビジネス書籍なんかで成功までの過去の苦労話を書いている方々は昔のことを良く覚えてらっしゃるなと、不思議に思ったりするくらい、自分のしたことは良く忘れる猫丸です。それなのに、他の人のことはやたらと覚えているので、それもまた不思議なのですよね。人のことばかり覚えているなんて、なんだかあまり性格良くないですよね(^^;
 そんな私が、水槽を始めた頃のことを思い出してみたのですが、なかなか思い出せないことが多々ありまして、はじめから水質のこととかも良く理解していたような気になったりするので困ります。
 それはさておき、はじめの頃に感動が大きかったようなことはなんとなく思い出せるのですよね。例えば、一番はじめにスネールを見つけたとき。私が思ったのは、「うちの水槽、貝が居るよ!ラッキー!!」でした(笑)。買ってこないのに貝が居る。学生でしたし、お金もないし、それで生き物を飼うのが楽しいと思っていたので、なんともうれしいお話です。また、熱帯魚屋さんの水槽の底砂に、黒髭ゴケがびっしりと生えていて、店員さんが掃除しているのを見たとき、「それ、くれません?」って声かけました。もちろん、怪訝な顔をされたのは言うまでもありません。
 先日、その店員さんと会う機会があったのですが、「猫丸さん、あの頃、濾材がすぐに茶色になるから気持ち悪いって言ってましたよね」とか、「砂利の中にミジンコとか、変な虫が居るから、底砂を全取替えしましたよね」とか、散々に笑い話にされて帰ってきたわけですが、今の私はそんなことすっかり忘れて、濾材にバクテリアがついたと喜び、ミジンコなんかが居るとうれしくなったりするわけですね。
 スネールが居ることとか、コケが生えることとか、水槽を維持しているとなんだか嫌われ者な感がありまして、でも、よくよく考えてみると、はじめは喜んでいたんですから、ずっと喜んでいても良いのではないかなと思ったわけです。こんな風に思うのは、仲良くしていただいている某サイトの管理人さんの影響も多々あったりするのですが、いつのまにか、スネール排除、コケ廃絶気質になっていた自分にちょっとびっくりしています。また、逆に、濾材にこびりついているあんな汚いものが大切だ!なんていえるのは、普通の神経じゃないですよね。
 もちろん、コケが異常に生えることが水槽に悪影響がおきていることのサインの場合もあるので、一概に良いわけでもないですけど、なんではじめは気にならなかったのに嫌いになったのかな?なんて考えていました。
 私も、スネール大発生事件とか、コケで魚が見えなくなる事件とか、一通りのことに見舞われたわけでして、そうなると、やっぱり綺麗な水槽はいいよねぇなんて思いまして、スネールが嫌いになり、コケが嫌になっていったのでしょうね。それが、なんだか一段落した近頃、”あの魚”のおかげでスネールなんかはめったに出てこなくなったので、スネールを見ると妙に懐かしい気がするのでした。スネールとかコケとかは水槽の敵って風潮ありますけど、自分が好きだったらそれでいいんですよね。皆さんも、周りの声はあんまり気にせずに、ご自分のスタイルで、飼いたいように水槽飼育を楽しんでみてはいかがでしょうか?(実は、たったこの1行が今回の言いたいことだったりします(^^;)
 ちなみに、その店員さん、また余計なことを覚えているんですよ。「猫丸さん、最初、クラウンローチは赤コリより高いから、嫌いだって言ってましたよね…」
 忘れたほうが良い初心もあるんですよね(笑)


■ 自然な水槽 2004/9/18
 自然ブームというか、そういうものって昔から良くあることみたいで、例えば、都会の人がたまに自然を求めて郊外に行ったりするのも、人が自然を好きな生き物であることの証明なのかなとも思ったりします。とはいっても、それも個人差がありまして、自然が好きな方、特にそうでもない方、いろいろといらっしゃいます。アクアリストもそうでして、”熱帯魚を飼う=自然が好き”という図式は成り立たないとは思いますが、アクアリストには何かと自然を気にする方が多いようにも思います。
 アクアリストが自然を大切にしようとか、生き物に興味を持つとか、そういう姿勢を見ていると、とても微笑ましく思うのですが、こと、水槽内についての自然の話を始めると、なんだか疑問なことがちらほらと見受けられるんです。例えば、水槽にバクテリアとは別に、小さな生き物が居ますっていうお話、最近は良く聞くようになりました。水草などとともに、それらも含めて水槽内には自然界のサイクルが出来上がっているという話題が多いですね。私もそれが理想的な水槽なのだろうなと思っていました。でも、最近、それって本当なのかなと疑問に思い始めているんです。
 もともと、水槽って不自然なものなんじゃないかと思ったりしています。いくら水草を植えようとも、バクテリアが繁殖しようとも、自然界と同じサイクルはできないのではないかと。フィルタは回っていますが、全体としてみれば閉じた水域なわけですから、他からのいろいろな物質の流入は水替えと餌やりくらいになりますので、とても少ないような気がします。基本的に、飼育している生き物を捕食する生き物って入れないですし、コケが生えれば排除されますし、その時点で、自然の食物連鎖のサイクルも不完全なわけで…。本来居るはずの捕食者が居なかったら、魚の平均寿命も伸びるわけで、何よりも、私が魚で、緊張感のない場所に入れられたら、確実に怠惰な生活を始めそうな気がします(笑)。魚の成長にしても、クラウンローチを水槽で飼ったら、30センチにはならないという時点で、自然とはいえないのですよね。
 ここまで顕著にわからなくても、魚たちも自然とは別の生き方を選択しているのだろうと私は思うんです。そして、魚たちが水槽にあった生き方を選択するのと同じように、水槽のほかの生き物もその水槽にあった生き方を見つけるんじゃないかなって思います。
 とすれば、自然を水槽にそのまま当てはめるのはナンセンスに思えてくるのです。自然のサイクルではなく、”水槽内の独自のサイクル”で、水槽は維持されているように思います。そんな中に、最近注目されるようになってきた、微生物とか、小さな生き物が、それもそれぞれの水槽に適応した形で存在するのだろうなと思います。
 私は、うちには微生物が沸いてこないけど、どうしたら沸くのだろうか?と思っていた時期がありました。水槽の理想的な形は、やっぱり自然なんだろうなと思っていました。でも、水槽を見ていてそこで暮らす魚たちと、テレビなんかで紹介される自然の魚たち、どう見ても違うんですよね。もっと身近な例ですと、ワイルド個体とブリード個体、どう見ても別物ですよね。それを考えたときに、小さな水槽でいくら自然だと言い張ったところで、やっぱりそれとは違うのだろうなと思いました。
 自然のサイクルに照らし合わせると、微生物が沸かないのはおかしいのでしょうけれど、水槽内のサイクルでしたら、その水槽には必要ない、もしくは入り込む余地がないから沸かないだけだと思うので、水槽の調子が悪くないのでしたら、微生物が出てこないのは問題にはならないと思うんです。バクテリアなんかもそうですよね。極端な話、なんらかの装置で水をきれいにして、魚に影響がないレベルで飼育できるのしたら、バクテリアなんて繁殖しなくても良いと思うんです。昔の水質維持はそういう方向性だったようですし。私は多分、変に自然を意識しすぎて、水槽の調子が悪くも無いのに、微生物を無理やり入れようとしたりして、”魚を水槽に合った形で健康に飼う”という目的から、外れていくことがあったように思います。
 水槽は水槽という世界で独自に生きていて、魚もその他の生き物も、その水槽にあった形を自分でとるものなのかもしれません。水槽内は自然界とは微生物の存在割合なんかもきっと違うと思いますが、そういう状態が”自然な水槽”なのかなと思うようになりまして、最近はそういう小さい生物のことも、「沸きたければ勝手に沸くんだろうな」という感じに考えるようになりました。ちょっと気楽になった気分です。
 せっかくなので、クラウンローチが勝手に沸く水槽とか欲しいんですけど、それはさすがにないですかね?(笑)


■ 体験と常識 2004/9/1
 インターネットっていう道具はとっても便利でして、欲しい情報がすぐに手にはいるので重宝しますね。また掲示板なんかも、アクア界の動向を知るのにはとても役立つツールです。最近の私は情報収集よりも、、もっぱらおしゃべりするのが楽しくて掲示板をやっている気はしますが…(^^;
 それはさておきまして、ネットや本などの情報に絞ってお話をしたいと思います。この情報は非常に役に立つのですが、いつの間にやら”体験”が”常識”にすり替わっている事ってあるんですよね。
 ”体験”って辞書で調べると、「実際に自分で経験すること。また、その経験。(by大辞林)」って書いてあります。さらに、”常識”を調べますと、「ある社会で、人々の間に広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力。”共通感覚”に同じ(by大辞林)」と書いてありました。
 例えば、「クラウンローチってどのくらい大きくなりますか?」って掲示板なんかで質問すると、「30センチになります」って答える方、すごく多いです。でも、これは飼ってみるとわかりますが、飼育下ではまず間違いなく、こんなに大きくなりません(大きくなるならその方法を教えて欲しいです(^^;)。いろいろな物を調べて知識を持っているアクアリストは、クラウンローチが30センチになる魚だという”共通感覚”は”常識”として持っているんですよね。でも、実際にクラウンローチを長年飼ったアクアリストは、30センチにするのは途方もなく難しい(というかほとんど不可能)であるということを”体験”しています。これが常識と、体験の違いです。似たような事例はものすごくたくさんあります。それはアクア業界に限らず、人が集まればその中で共通認識が産まれて常識になっていくのは当然なので、良くあるお話ですが、ことアクアに関して言えば、魚の特性や、飼育方法に関することだったりするので、一つ間違うと水槽が大変なことになるので、始末が悪いです。
 それに関しては私も反省するところでして、うちのサイトの中にも、体験と常識が混ざって書いてあるんですね。後から作ったコンテンツは「常識に関することですよ(例えば、猫でもわかるのシリーズ)」とか、「飼ってみた体験です」とか、わかりやすいようにしているつもりなのですが、初めの頃はそれらの区別を明確に書いていないので、少し申し訳ない気もしています。
 という感じに、ネットや本に書いてあることや、誰かが言っていることは”体験”なのか”常識”なのか、きちんと区別を付けて見る必要があると思います。それを間違うと、大切な魚に関して誤解したまま飼育を続けることになりかねませんので。
 もちろん、常識がいけないこととは思いません。常識は多数の体験の蓄積で作られるものだと思いますので、常識=体験という場合も多々あります。ですが、飼育の器具や理論、魚の生態に関する研究なども進歩しているのに、昔の常識だけが一人歩きしていて、それがいつまでも誰かの体験として受け入れられていることや、雑誌やネットで有名な人や、メーカーが言ったから、それがそのまま拡大解釈されて、常識化してしまった物などが結構あるので、それには注意が必要だなと思います。
 やっぱり、情報を発信するときには、「飼ってみてそれがどうだったか?」という事でお話をする、もしくは「これは常識として言われていることを調べた結果なのですが…」というように伝聞であることをわかりやすく明示するという、簡単だけどいつの間にか実践できなくなっていることに気を付けたいところです。もちろん、私も含めて、です。
 また、何かの記述を見つけたら、それが常識として書かれたことなのか、誰かの体験なのか、それを自分の体験と照らし合わせてきちんと判断するなり、体験した人に尋ねるなりの努力が必要なのかなと思います。
 情報がいっぱいあるということはとても良いことですが、その海におぼれてしまわないように、どんな情報も一度立ち止まって考えてみるということが必要なのかもしれませんね。


■ 水槽の速度 2004/8/17
 自然って雄大だ!なんて言葉が良く言われますが、私もそんな気がします。特に北海道なんかに住んでいますと、雄大すぎて笑っちゃうようなところもあるわけで、慣れてくると感じなくなりますが、都会から来られた方なんかを連れていくと100%喜んでもらえるので北海道ってラッキーな場所だなとつくづく思います。でもなぜだかわからないですが、雄大という言葉は”ゆったり”したイメージを持っているような気がします。大きな川のゆったりした姿を見て”雄大な流れ”ということはありますが、同じ川でも台風なんかで早く流れているのを見て雄大と言う方はあまりいないように思うのですよね。
 ちょっとお話がずれていますが、私が何を言いたいのかといいますと”自然”=”ゆっくり”というイメージって私たちは持っていませんでしょうか?ということです。少なくとも私にはあったんです。そして”自然”を切り取ったと言われる水槽の中にもそれは反映されていまして、水草なんかはそのうち気がついたときに伸びているもんだと思っていました。また魚たちにしても気がついたときにちょこっと成長しているものだと決めつけておりました。
 でも実際に飼ってみるとそうでもないのですよね。アナカリスなんて恐ろしい勢いで伸張して水面直下でとぐろを巻いていたことなんて良くある話です。先日も2,3枚しか葉っぱのついていないチドメグサを浮かべておいたら、いつの間にやら蓮の葉が水面を覆っているかのような風景になっておりまして、ちょっとびっくりしました。もちろん、こんな速度で育たない水草もあるんですが、上手く条件があうととんでもなく伸張する水草は結構ありますね。魚もそうです。毎日見ているときがつかないですが、1週間も出張に行って帰ってくるとなにやら別の魚のよう(大げさですかね?(笑)になっていることもしばしばです。特に成長期の稚魚などは、食べたエサの体積がそのまま体にくっついたのかと思えるくらいの勢いで大きくなりますし、いつの間にやらお腹がぷっくりとお父さんみたいに膨らんでいる魚たちの多いこと…(^^;。こういうことを目の当たりにすると、水槽ってすごく変化が速いなと感じます。1日たりとも同じ状態というのは無いのではないかと思います。
 でも、変化が速いって事は成長が速いという喜ばしいこともある反面、悪化するのも速いんですよね。朝に何もなかったのに夜になったら魚が死んでいたなんてことは良く聞くお話です。1日で水草が溶けたなんてことも…。飼育指南サイトの掲示板でそういう相談を目にする機会が多いですから、私だけではなく、それを疑問に思う方は多いのだと思います。たった数時間でそんなに変わるのかと…。そんな風に思うのも、やっぱり水槽(自然)は人間よりもゆっくり進むというイメージを持たれているからなのかなと思います。
 でも、上で挙げたように、水槽の様子を見ていると、ゆっくりと物事が進むというのは人間の勝手なイメージなのだなと思ってしまいます。きっと水槽は人間を待ってはくれないんですよね。特に限定空間ですから自然よりもさらに変化に関する許容度は低くなっていると思います。つまりその分、水槽の速度は増していると言って良いと思います。もちろん速度が速いことは悪いことばかりではありません。日々の変化を間近に楽しむというのは水槽飼育の醍醐味です。でもその速さが命取りになることもあるので、そのことも含めた水槽管理というのが必要なのかなと思います。
 速い水槽ですから、毎日きちんと見ていないとせっかくの楽しいシーンを見逃すことになりそうですね。


■ 水槽に貯まる物(笑) 2004/7/23
 世の中には本当にいろいろなものがあるわけでして、とにかく必要なものを筆頭に、あるとちょっと嬉しいもの、あってもなくても良いもの、あっても別に使わないもの、あるとちょっと困るものまであったりしますが、私はどちらかというとあってもなくても良いものとかを集めてしまったり、いつの間にかちょっと困るものになってしまっているものが、部屋に結構あるような気がします。
 特にアクアグッズ。欲望に負けていろいろと買ってしまいます。掃除器具なんて、一つしか使っていませんが、3種類くらい持ってます。スポンジとかも含めると結構な数になりますし、エアポンプも動いていないのがいくつかありますし、なにやら怪しげな100均グッズもいろいろと落ちていたりします。それを使う機会があるのだろうかと思いつつも、いつか使うかも、とか、そのうち新しい水槽を置いたときには…、なんて言いながら、とってあるんですね。ところが、実際に水槽を置くとすっかりそれを忘れて、別のものを買ってきていたりします。こうやって、水槽(周辺)に、物は貯まっていくのです(題名を見て、水槽の中に貯まると思った方、ハズレです(^^;)
 私の水槽は立派な水槽台ではなく、高さが30センチくらいのテーブルの上に乗っているのですが、その下はそういったグッズが使われる日を待ちこがれつつ、置かれて(詰め込まれて?)いたりします。本当の意味でそれらのグッズが陽の目を見る日が来るのかどうかはわかりませんが、本当に必要なのかと、それらをたまに引っぱり出します。水回りなので、面倒が起こるのも嫌ですし、たまには片づけないとと思いつつ出してみると、やっぱりなぜそれを買ったのか、理解に苦しむものがあります。
 基本的にカルキ抜きしか入れないのに、なぜか水質調整材があったりします。本格的な水草水槽はやってないのに、なぜかレギュレータがあったりします。そのあたりならまだ良いんです。買った記憶があるのですから。でも、なぜか出てくる試験管…。何に使ったのかすら定かではありません。懐中電灯…魚をスポットライトで照らしてみたことがあったのか、少なくとも私の記憶にはありません。そして極めつけが100本入りのストロー…(しかも未開封)。なにかの意図があったのは確かですが、それに思い当たりません。仕方がないのでそのストローはこっそりと台所の戸棚に収めておきました。
 アクアという趣味っていろいろと付属物が増えていくものなのでしょうね。ADAのカタログやお店で見るような美麗な水槽、ほとんどプロのような方の水草水槽などを見る機会がありますが、私の場合、それを見てため息をつく理由の多くは、水槽の中ではなく、外に物がなく、すっきりしていて格好良いことに起因していたりするのでした。片づけられないこの性格を治さない限り、私の水槽がコンテストに出ることはないですね(笑)
 皆さんもきちんと考えて物を買いましょう!


■ 魚の死因はわからない? 2004/7/9

 水槽には、どう考えても辻褄の合わない事ってあるんですよね。というか、たぶん辻褄はあっているんですけど、人間が知る情報が少なくて、合わないように思えてしまうことってよくあります。要するに原因不明の病気や死魚が出ることです。
 水槽の状況を判断する材料って考えてみたらものすごく少ないんですよね。例えば水。計れるのは水温とpHとGHとKHと…っていろいろとあるみたいですけど、水道局のHPで水質基準の表なんか見ますと、それの何倍ものデータが示されているわけでして、それで足りているのかどうかはわかりませんが、水を厳密に規定しようと思ったら、アクアグッズの水質検査用品なんておもちゃみたいなものなのですね。もちろん無いよりは断然良いですが。また、計った上でそれが魚にとってどういう意味なのか、そして悪ければどうすれば改善できるのか、そこまでわかっていないと計る意味もありません。水だけでこれなんですから、レイアウトとか、濾材とか、その他魚に悪影響を及ぼすものが水槽にあるかどうかを完璧にチェックするのはまず無理です。
 そしてある日突然、魚が調子を崩します。今まで何の問題もなく泳いでいた魚でしたら、なおさら驚きます。そして、他の魚は至って元気、水質に敏感と言われるエビなんかも元気だったりすると、本当に困ってしまいます。魚が調子を崩したことには理由があるはずです。ですが、水質検査、他の魚の状況、その他、飼育者が知りうる全ての項目をチェックしても原因の特定に至らないことがあります。そして、原因が分からなければ、適切な対処はできません。ですので、魚の状況にそって、薬浴なんかをしてみたりするわけですが…。運良く助かればそれで良いのですが、理由がわからないと、死なせてしまうことも多いです。また、治っても理由のわからない水槽にまた魚を戻すつもりにはなれません。そして、死んでしまった魚を見ながらガックリと肩を落とし、「内臓疾患かな…」とか「寿命かな…」なんてまた根拠の希薄なことをつぶやいたりします。原因が分からないから、死因も見つけようがないんですよね。
 人間でもまだまだ原因不明の病気とかよくありますから、それに比べて研究が少ない観賞魚の死因を特定するのが難しいのは仕方がないですが、せめてそれが”水槽環境の不備”=”飼育者の不注意”なのか、その魚がもともと弱かったからなのか、その部分だけでもはっきりさせたいところなのです。でも、やっぱりそれも難しいんですよね。結局のところ、飼育者の調べられる範囲での項目に不備がなければ魚のせいにしているところが多いです。というか、趣味のアクアリウムでは、そうせざるを得ないのが現状ですね。
 何だか寂しいものですね。せっかく水槽に来てくれたのに、死んだときに理由がわからなければ、「おまえのせいだ」と言うしかないというのは、切ないです。だからせめて、わかる部分で原因になりそうなことがあるのなら、それをなるべく改善するようにして、できる範囲では手を抜かない飼育をしたいものです。

■ それぞれのスタイル 2004/4/14

 世の中には物事にそれらしい名前を付けるというのが良くやられていますね。例えばこの時期ですと、”今年の新社会人は携帯電話型”(去年でしたっけ?)とか…。何だかこじつけっぽい気もしますが、何かをひとくくりにしてキャッチコピーを付けるというのは、細かいことに目をつぶって、全体的なイメージが伝わればいいやということなのでしょうね。
 アクアの世界でもそういうことはありますよね、日本で一番有名なのはADA社のアクアリウムスタイルを”ネイチャーアクアリウム”なんて言うことでしょうか。おそらく、それが”ネイチャー”かどうかを厳密に考える必要はなくて、そんなイメージの水槽にしたいですよね!ってことでそういう風に名付けているのだと思います。他にもありますよね。いろいろなサイトで、ご自分の飼育スタイルに名前を付けてらっしゃる方がたくさん居ます。それらを見ていると、その水槽への思いというか、主張というか、コンセプトが良く伝わってきます。会社の場合には、名前を付けるのは商品を売るための戦略でもあるわけですが、個人の場合には、そういう事抜きにして自分の水槽への愛着から来るものだと思いますので、それが伝わってきて、すごく楽しく感じます。
 私は今まで自分の飼育スタイルに名前を付けたりする事はなかった(する必要もなく、それを聞いてくれる方も居なかったですし)のですが、いろいろなサイトのいろいろなネーミングを見ていて、なんとなく、そういうことをしてみるのも楽しいかなと思っていました。ですけど、考えてみたら、私は特にコンセプトとか、ポリシーを持って飼育しているわけではないんですよね。あえて言えば、”クラウンローチ・アクアリウム”…、うーん、それもいいですけど、それ以外も飼っていますし、厳密ではないとは言っても、さすがにこれはこじつけですよね。ボティア〜とか、ローチ〜とかも同じです。では、”チープ(安く済ませる)アクアリウム”っていうのも考えたんですけど、エーハイムが安い買い物とは言えない気が…。確かに諭吉さんが去っていくような高い魚はほとんど飼ったことがないですけど、器具を思い出してみると結構いろいろと買っていまして、安い趣味だと言い張るのは無理があります(高い趣味というわけでも無いですけど)。では、”フィッシュ(魚中心)アクアリウム”って…。だから、それをアクアリウムって言うんでしょうね、って自分で突っ込んでしまいます。なかなか見あたりません。キャッチコピーが容易に見つからないということは、要するに私の飼い方には一貫性がないということなんです。主義がないんですね(苦笑)。そのときにやりたいことをやってます。お金もかけられるときにはそれなりにかけますし、無ければ無いなりに工夫します。飼っている魚や水草の種類にしても、クラウンローチ以外はいろいろな変遷がありまして、飼育の特徴なんて考えるだけで疲れてしまいます。とりあえず、”楽しければいいや”っていうだけで、あっちにフラフラ、こっちにフラフラとやってきたのですよね。ということで、ここでコンセプトを見つけてしまいました。”楽しくやる水槽”ということにしましょう。でも、”エンジョイ・アクアリウム”って、どこかの会社がキャッチフレーズに使いそうですし、商標登録してそうですよね。何よりもひねりがありませんので楽しくありません。ということで、考えたのが、”スロー・アクアリウム”。最近スローフードとか、スローライフとか、そういう言葉が出てきましたよね。ゆっくり食べることで、料理の味もわかるし、会話も弾むし、ゆっくり生きることで、生活にも張りが出るという事らしいですが、それをいただいてスローにいきましょうって思いをこめて、この名前にしてみましょう。水槽を見ながら癒されたり、楽しんだり、それを話題に盛り上がったりすることを第一とする飼い方です。細かい飼育方法とか、そういうのを規定するのはやめましょう。少なくとも魚とか水草とかが元気ならそれでいいということにして、それ以上何か決めたりするのもなんだかつまらないのであきらめましょう。魚を飼うことと、楽しむことを同時に実現する飼い方を目指してみたいと思います。あ、そうそう、クラウンローチをなるべく飼うことっていうのが”スローアクアリウム”の唯一のお願いです(笑)もちろん、強制じゃないですけどね(^^;
 皆さんも、ご自分の飼育スタイルに名前を付けてみるのもおもしろいかもしれませんよ。そうすることで、自分はどんな飼い方をするのが好きなのかがわかってくるかもしれませんので。

※ちなみに、スローアクアリウムは、”あれこれ”の記事として自分の飼育スタイルを探してみては?ということを書きたいのでとりあえず付けてみただけですから、明日になったらファーストアクアリウムになっているかもしれませんので、お気をつけください(提唱者がいい加減なので、絶対に流行らないですね、スローアクアリウム…(笑)。

■ 魚の見方 2004/3/29

 あれこれって思いついたときに書いているんですけど、2日連続で書くのは珍しいです。これでしばらく書かなくても大丈夫かな?(難しい話が多いので、心配するほど誰にも読まれていないコーナーのような気もしますが(^^;)。また思いついたら不定期に書きます。

 物事って詳しくなってくると、大抵細かいところにも目がいくようになるんです。よく、「目の付け所が違いますねぇ」なんて言いますけど、それは他人が見ないところをよく見てますねっていうことですが、それが本気の賞賛なのか、呆れた苦笑いなのかは別として、良い意味でも悪い意味でも、”マニア”ですねということなわけです。それは熱帯魚飼育にも言えるのでして、一番はじめにネオンテトラを飼う方が多いのは、それが値段が安かったり、いろいろなお店で売っているという事もあるでしょうけれど、やっぱりその”素人目”に熱帯魚らしい派手な色合いが”目を引く”からなのだと思います。同じような境遇のアカヒレが居ますけど、それがネオンテトラほどメジャーにならない理由は”ぱっと見”に熱帯魚っぽく”見えない”のも理由の一つかなと思ってしまいます。
 ところが、しばらく熱帯魚を飼っていると、段々と地味な色合いの魚が好きになって来るんです、皆さんも経験ありませんか?私もそういう時期がありました。そのうち、アカヒレが綺麗だとか言い出します。確かに綺麗なんですよ、本当に発色したアカヒレは。でも、本当に発色したネオンテトラと比べたら、客観的に見てネオンテトラの方がキラキラしていて綺麗なように思います。見た目にシビアな子供に選ばせたら、ネオンテトラが圧勝するような気がしますよね。でも、やっぱりアカヒレがいいって言うベテランアクアリストの方って多いです。
 また別のお話。飼育年数が増えるに連れて珍カラとか珍コリとかを飼い始める方、増えてきます。珍しい魚を飼っているという所有の満足感もあるのでしょうけれど、それはとりあえず置いておきまして、本当にちょっとした違いを見つけては、喜んでしまいます。混じり抜きみたいなことを始めるようにもなります。これも、魚を本当によく見るようになってきた証拠なのでしょう。
 そして私。人のことは言えません。お店のクラウンローチの水槽の前でものすごく長い時間を過ごしていたりします。柄違いを探しているのもそうなのですが、普通の縞のクラウンローチでも、これとこれはここがちょっと違うとか、そんなところを見つけては喜んでいます。そして、たった一つの白点を見つけてしまったりするわけですね。何ともお店泣かせな客です(笑)
 魚を見る事って意外と簡単なようで、難しいなって思います。ベテランの方が病気を出さずに飼育できたり、病気になってもすぐに対処して悪化する前におさめてしまったり出来るのは、魚のどこを見ればいいのかとか、どんな様子だと水質に問題があるのかとか、魚を見る目が養われているということも大いに貢献しているのではないかと思っています。こういうときにはこんな状況、こういう病気はここに特徴が出やすいとか、そういう判断は何回か経験しないとできないことです。でも、そういう方々も一朝一夕に出来るようになったわけではなく、たくさん魚を見てきたことで出来るようになったのだと思います。何気なく魚を眺めるのも良いですけど、ちょっと時間を割いて食い入るように水槽に張り付いてみるのも良いものですよ。せっかくの趣味なのですから、思いっきり”マニア”になってみてはいかがでしょうか。たまにそのまま”プロ”になってしまう方もいらっしゃるようですけど…。
 ちなみに私、いまだにネオンテトラ、とても好きです。クラウンローチみたいな、ぱっと見に派手な魚が大好きです。ショップで水槽をばしばし叩いて喜ぶ子供と、基本的に好みは一緒なんですね(笑)。一見地味な魚を状態良く仕上げて、綺麗な発色を引き出すような渋い飼い方をしてみたいものですけど、私にはもうしばらく(一生?)無理なように思います。そのかわり、見た目に綺麗な魚に向かって、「おー!綺麗だ!!」って騒ぐのはとっても得意です。もうちょっと目を養ってみたいところです。


■ 井戸から出れない 2004/3/28

 HPをやっているとありがたいことにいろいろな方がいろいろなことを教えてくださいます。特に魚の飼い方に関しては千差万別、本当に多種多様で伺うのがとても楽しいものです。でも、そんなお話をしているうちに、自分の飼い方って偏っているなと思いました。餌のやり方一つにしても、HPを始める前には、これと決めたらそればっかりずっとやっていました。それでもローチが太るし、すくすくと成長していくので構わないと思いますが、餌にバリエーションをつけることで、いろいろな餌をそれに合わせて食べるローチの姿を見せてもらったのはとっても嬉しいことでした。
 井の中の蛙…って言葉がありますけど、私は餌1種類をメインにあげるという井戸から出てきたわけですね。でも、世の中にはその井戸が一番だと思っている方もたくさんいらっしゃいます。ということは、わたしは1種類の餌をメインであげる井戸を出て、今度はたくさんの餌をメインであげる井戸に入ったことになるんでしょうね(笑)。餌のことでこれですから、濾過のこと、底砂のこと、水質のこと、etc…。私が良いと思ってやっていることはきっと全部井戸なんです。そこから出て次のことをはじめても、そこもやっぱり井戸…。さらに周りを見渡すと、いろいろな方の掘った井戸が地平線の彼方まで無数に口を開けているという、なんともシュールな光景が思い浮かんでしまいます。趣味の世界のように、ある程度の範囲内で、ものすごく多様なことがなされている場合には、大きさの大小はあれ、個々のやっていることは全部井戸なんでしょうね。
 うちのサイトを飼育指南サイトにしたくなかった理由は、実はこのあたりにありまして、たまにこの井戸、隣の井戸と争いを始めるんです。本当に困りものですね。こっちの井戸の方がそっちの井戸よりも優れているって言い出します。わざわざ隣の井戸に行ってそっちで勧誘なんかを始めたりして。井戸の住人にしてみると、自分の井戸が最高という自負がありますので、他の人もこっちに来て欲しいという気持ちは分からなくもないのですが、隣の井戸の方も実は自分の井戸が最高という自負があるんですね。でも、それに気がつかないこと多いです。何だか寂しいことにそれで争いになっちゃったりします。もう少し言いますと、本当にダメな井戸ですと、魚も水草も正直ですから、そこにいたら水槽がダメになってしまいます。井戸が井戸として残っているということは、そのやり方が最良ではないにしても、悪くはないということなのだと思います。井戸は井戸のままで良いんですよね。趣味は、楽しむとかリラックスするのが目的ですから、わざわざ嫌な思いをしてまで大海にしようとしなくてもって思います。
 このことをHPを開いてたくさんの方とお話ししたおかげで私は知ることが出来ました。魚って実はいろいろな方法で飼えるんですね。魚が多様性や適応能力の高い生物であるからこそ井戸がいっぱいできたのだと思いますし、それぞれの井戸を尊重していけたらなと思います(いまだに自分の井戸を人に押しつける事もあるのが私のいまいちなところなのですが…(^^;)。そして、いろいろな井戸を覗きこむ楽しみ、これからも満喫していこうと思います。
 あ、でも、こういう考え方自体がまた別の井戸だったりして…(笑)


■どこまでやれば良い飼い主? 2004/2/4

 先日、飼育グッズを入れた段ボール箱を整理していたら、病魚薬がいろいろと出てきまして、それを見ているうちにふとその値段に目がいきました。メチレンブルーは安いんですが、他の薬は軒並み1000円を超えていまして、2000円以上の薬もいくつか出てきました。そして、それを使ったときのことを思い出してみると…。実は病気になった魚の方が安かったりするんですよね。例えば、パラザンD。2400円です。でも、それで治療したドワーフグラミー。ペアで580円でした。1匹290円。パラザンDはそのグラミーにしか使ったことがないのです。経済的な側面からだけ考えるならば、病気になったグラミーを廃棄して、新しく買ってきた方が遙かに安上がりです。しかも薬浴の手間もいりません。でも、私は何の疑いもなく、病魚薬を買って、治療に数週間かけていたんですね。そして大抵のアクアリストが私と同じ事をやっていると思います。これが魚のことをしっかりと生き物として見ているという事なのだなと、妙に納得した次第です。でも、もしもパラザンDが100倍の24万円だったら…。きっと私は買わないな。とも思いました。
 もう一つ別のお話。魚はどのくらいの水槽で魚を飼うのが良いのでしょうか。大きければ大きいに越したことはないのですが、個人の趣味である以上、限度があります。例えばネオンテトラが自然にいたら、1匹で部屋一つ分の水量を使っているという話も聞きます。なるべく大きな水槽でゆったりと飼う方が良いのはこの話からもわかることですが、なかなかそんなことは出来ません。60センチ水槽があれば、そこに20匹くらい入れて飼ってもそれで虐待だとは言われないのが普通です。
 さらに別の話。「餌なんて気が向いたときしかあげませんよ」って胸を張って言う人が居ます。それとは逆にエサやりはもちろん、毎日のように水質検査をして魚たちの様子をこまめにチャックして、様子がおかしければ仕事を休んででも手をかける。こんな人がいるのかどうかはわかりませんが、水槽に手間を惜しまない人が居ます。
 水槽と魚にかけられる時間、手間、お金、etc…それはどこまでやったら良い飼い主なのでしょうか?良い飼い主でなくても、熱帯魚が好きな以上、虐待するような悪い飼い主にはなりたくないと思うわけです。動物に、ものすごく入れ込んでしまっている方々にすると、故郷の川と同じ環境を揃えてあげられないのは虐待だと言うでしょうし、ショップでお金を払った時点でその命は自分の好きにして良いと思っているような方にすれば、どんな環境で飼おうと虐待という言葉は出てこないのだと思います。とりあえず、そういう極端なお話は置いておきまして、普通に熱帯魚をかわいがっている私たちが、どこまでやれば良いのかなって考えていました。薬に2400円なら出せて、24万円なら出せない私は悪い飼い主なのでしょうか?
 良いか悪いかは私が思うことと共に、これを読んだ皆さんも思うことだと思いますが、私に言い訳を書かせていただけるとすれば、悪い飼い主って言うのは、自分の出来る範囲の事をしなかった飼い主ではないかと思います。もしも病魚薬が、飲みに行くのを一度控えれば買えるのに買わないとか、魚にとって最低限必要な水槽の大きさ、設備、費用なんて調べればすぐにわかるのに、それすら調べないで飼えるはずのない魚を買ってくるとか、日曜日、疲れてもいないでごろごろしているだけなのに、エサすらやらないとか…。やればやれることをやらない飼い主は少なくとも良い飼い主ではないと思います。
 でも、私もそうですけど、やれるのにやらないことってあるんですよね。つい、過密の水槽にさらなる過密を強いてしまったり、忙しいことを口実にして、水換えのときの注水を焦ってしまったり…。ですから、私も良い飼い主と胸を張ることはできませんが、少なくとも、良い飼い主になりたいと願っているということだけは胸を張って魚たちに自慢できると思っています(自慢できるところが小さいですよね(^^;)。うちの魚たちがそんな間抜けな飼い主を許してくれるのかどうかはわかりませんが。


■今年もいろいろあるでしょう 2004/1/1
 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 ということで、2004年になりました。今年はもう少しでこのサイトの1周年とか、私のメイン水槽の1周年とか、いろいろと記念日があったり無かったりするわけですが、それはさておきどんな年になるのでしょうか。”なるのでしょうか”と言うよりも”するのでしょうか”ということにして少し積極的に水槽のことなど考えてみたいですね。1年の計は元旦にありと言いますので、今年もきちんとやるということを誓う意味で、今年はじめての”あれこれ”は水換えについての笑い話です。ということで、わかった方は初苦笑(^-^;)、わからなかった方は初苦悩(-_-;)をお楽しみください。
 ご注意:以下の文章は猫丸にだまされないようにしっかりと気を付けてお読みくださいね。
 妙な注意書きがありましたが、それはそれとして。理想的な水換えのお話をしましょう。普通に魚を飼い始めると大抵の方がやると思われる水槽の水換えですが、この作業に関してはあまり評判がよろしくないのです。時間がかかる、腕が疲れる、腰が疲れる、床が汚れる、たまに水を飲んでしまう…なんて人間側の都合があり、さらに、水質が変わる、水温が変わる、レイアウトが崩れる、砂が巻きあがるなんて水槽側の問題もあったりして、定期的にしなければならないことにしては、なんだかデメリットが多いんですよね。そうなると当然のことながら、無換水水槽だとか、嫌気バクテリアによる硝酸塩の気体化だとか、そういうことを考えはじめる方が出てきます。一部ではうまくいっているようですが、それらを実現するのは素人レベルではなかなか難しく、現実的な方法論として確立しているとは言い難い状況だと思います。とりあえず、人間のエゴで魚たちに水槽に来ていただいているわけですから、人間側の都合はこの際すっきりとあきらめることにして、水槽側のデメリットを何とかしたいなぁ、なんて思うんです。そして魚の健康に影響する最大のデメリットであろうと思われる、水質と水温の変化をなんとか無くしたいと思うんです。それにはどうすればよいのかと考えると、理屈としては簡単なんですね。水を抜いてから、水槽の水温と水質に全く等しい水を新しく入れれば良いんです。そうすれば、水温も水質も変化なし。理想です。なーんだ、簡単じゃないですか。でも、それってとっても難しいんですよね。いくらヒーターで調節しても、水温を完璧にそろえるのは至難の業です。その上、水質にはいろいろな要素があります。pH、GH、KH、アンモニア濃度、亜硝酸濃度、硝酸塩濃度、導電率…。それらを全部そろえるとなると、どうやればよいのか全くわかりません。さらに私たちは普段気にしないですけど、おそらく微量に溶けている成分なんかもきっと魚たちには少なからず影響を与えているものと思います。でも、いつか、こういう数値を完璧に揃えて、魚にダメージを与えない理想の水換えができる日が来ると良いですね。技術の進歩に期待です。水換えをトラブル無くできるようになったら、かなりの病気を防ぐことができますから、そんな理想的な水を作れるような飼育者になれたら素晴らしいと思います。というのが私の夢だったりします。

 って、ここまでのお話、納得してしまったあなた、とても素直な良い方と思いますが、猫丸に騙されてしまいましたね。変だなと思ったあなた、疑り深いのはよくありませんよ(笑)でも、私が笑い話と言った意味がおわかりかと思います。さて、わかった方にはおもしろくないですが、種明かしをしますね。もう少し考えたい方は少し行間を空けておきますので、じっくり考えてから続きを読んでくださいね。



 思いつきましたか?このお話、なにがおかしいのかと言いますと、換水の目的は水質を変えることなのだということを無視して書いてあるんですね。水質を変えなければ魚にショックは行かないかもしれませんが、水質に問題が出ているから水換えをして、悪いものを取り出すわけでして。つまり、なにやらもっともらしいことを書いてありますけど、水槽から取り出した水をそのまま水槽に戻すのが理想だという戯れ言を上の文章は言っているんです。そして、猫丸はそんな意味のないことを真剣に考えて、あわよくば自慢げに”あれこれ”に書こうとさえしていました(このお正月に!)。自分で自分の過ちに気がついたときにはかなり恥ずかしかったです。つまり、私は自分で矛盾に気が付くまでは、この笑い話がわからなかったあなたと一緒です(涙) ということで、皆さんも、今年こそは物事をしっかりと考えるようにしましょう(笑)
 では、改めまして、今年もよろしくお願いします!

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